クリスマスに誕生。依って、「くりこ」と名付けられる。
******物心ついた頃から*****
歌と音が大好きで、カーテンの向こう側から歌いながら登場することと、テーブルの下に隠れて歌を歌い、大人に「あれ?ラジオが流れてきた」と言わせる事が得意技だった。
*****少し知恵のついた幼少期*****
どうしても両手で鍵盤を弾きたいが、ピアノがない。仕方がないので、メロディオンを2つ並べて、左手用を弟に吹かせる。いいところで音が途切れると不機嫌になった。どこで息継ぎをしたらよいかわからない幼稚園児の弟にとって、これが人生初めての試練だっただろう。すまぬ弟よ。
友達ができはじめると、へんてこりんな替え歌や自作曲をつくり、茶畑の中で(友達に強制フォーメーションを組ませて)振り付け付で歌った。
また、空き缶やお菓子のプラスティックの箱を打楽器とし、複数人に叩いてもらう。このとき、本人は指揮者。菓子箱オーケストラマエストロ誕生。
この頃、よく、親と「ピアノ買って」「習うならいいよ」「習うのは嫌だ」の押し問答を繰り返していた。
*****相変わらず歌とピアノが好きな青年期*****
友達の家、音楽室のピアノだけでは物足りなくなり、「ピアノ買って」の本気交渉。
それでも、「習う」という条件を譲らない親を打破するため、合唱コンクールの伴奏に立候補!ついに、念願のピアノが家にやってくる。譜面にカタカナでドレミを振り、後は音を頼りに練習。『習いに行く=譜面を見ただけで弾けるようになる』という発想ゼロ。
カタカナ楽譜と音源で毎日時間さえあればピアノ漬け。ショパンなんかも弾いちゃって結構楽しくやってた。
高校進学後、ボーカル・ギター・ベース・ドラム・キーボードの5人編成バンドで人生初のボーカルを経験する。学園祭でのライブ。体育館のステージ上は気持ちよかったな。
受験勉強そっちのけで、音楽ばかり聴いていて、よく親に叱られたよ。
それでも懲りずに、音楽室に入り浸り、音大を目指す友達がグランドピアノを弾く横で、アップライトピアノを弾いていた。
今思えば、完全に邪魔。笑。お友達、音大受かって良かったーーー。
*****大人になってから ハーモニー時代*****
相変わらずダントツに一番好きなことが、歌うこと。でも、どこに行けば音楽ができるのかよくわからないまま、河原や公園や深夜の陸上競技場など、人のいない場所へ行っては、アカペラで熱唱してた。目の前に埋め尽くすお客様を妄想して・・・(ヤバい奴)。
その後、やっと出会えた音楽をやる方々とのご縁で、富士宮市の「Dining Bar Harmony」(ジャズ好きなマスターとめっちゃんこお料理の美味しいママのお店)に通うようになる。一人暮らしだったこの頃の私はママのご飯と、マスターの音楽で出来上がっていた。そして、ここで、『ピアニスト志村孝雄氏』と出会う。「歌うことが大好き!」が伝わりデュオで活動開始。人生初のコンサートを行ったのはもちろん「ハーモニー」。志村氏にはたくさんたくさん経験を積ませて頂きました。本当に感謝。
*****大人だけどガキのままだと気づいたEN時代******
ポップスやオリジナル曲を歌うことに興味を持ち始めたころ、またまた素敵な出会いが。『jin』さん。Jinさんのお店、富士市の「Live&chobiっとBAR EN」(今は移転されています)がオープンすると同時に「いつか必ず満席にするから、ずっとずっと歌わせて!」が伝わり、一年に2~4回ワンマンライブを開催するようになる。楽器が何一つろくにできない私をたくさんのミュージシャンの方々がサポートしてくださいました。そんな中、ギター・歌・ドラム・ベース・ピアノなんでもやっちゃう音楽の塊jinさんをギタリストとし、ベーシスト・ピアニストのメンバーを迎え4人編成のバンド『Kurikos』結成。
とにかく楽しかった。だって、3人が私の頭の中や、それ以上を形にしてくれるんだもん。4人で作ってく音が、ワクワクでキラキラでたまらなかった。みんなで作ったアルバム「in the BOX」今でも大好き。もちろん、初めに誓った「満席」という約束は果たしたよ。みーーーんなの力で!
*****Kurikos2人体制から現在*****
2014年4月、Kurikosがベーシスト『高橋和樹』とギター&歌『Kuriko』の2人体制となる。
ここからようやく、「まずい!ギターちゃんと弾けるようにならなくっちゃ」と思う。簡単なストロークしかできない私を、コントラバスで、ベース音、リズム、弓もソロも・・・力の限り支えてくれる、和樹こそが、本当はバンマス!だが・・・2016年1月。『Kurikos』無期限活動休止。
そんなこんなでソロでの活動が始まり、人生初の、『ギター面白い期』 に突入。
どんな形でも、歌っていくよ。
ずっと。 2016 to be Continue…